お見舞いの酒
これはわたしが母親から聞いた終戦直後の実話である。
(母も何かで読んだ話だそうだ)
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戦後すぐ、戦争で足を怪我した兵隊さんに何かお見舞いをしようと
懇意にしていた者達10人で話し合った。
物のない貧しい時代、しかし皆の気持ちを伝える為に、
それぞれが家にある貴重な配給の酒を1合ずつ持ち寄り、
一升瓶をいっぱいにして贈ることになった。
10人が順番に1合ずつ酒を入れ、一升瓶をいっぱいにした後、
無事に兵隊さんへのお見舞いをすることが出来、皆でよろこんだ。
思いがけないお見舞いをされた兵隊さんも喜び、
感謝の言葉を述べ、そして早速ありがたいその酒を飲んでみる。
しかし、それは純然たる水であった。
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貧しさは人を追い込む。
当時、法を犯して闇市を利用しない者は生きていけないような時代。
「自分だけは水でいいや」と全員が考えた。
我が身を一番に考えること、いや、それは決して悪ではない。哀しさなのだ。
わたしもそういう状況下で同じ場面に出くわした時、水を入れるかもしれない。
それどころか、今この社会で生きながらも、酒と偽って水を入れてしまっていることがある。あるんだ。
事実をねじ曲げることなく、この「水を入れてしまったという事実」をいつまでも忘れない自分であれるかどうか、なのだと思う。
これを「忘れたくない」と思えることが人間の尊厳なんだと思う。
真っ直ぐな思い、真っ直ぐな心、そのにごりのないものを、みんながわずかでも持ち寄れば、きっと大きな樽をも純粋なものでいっぱいにすることが出来る。
貧しい者がこの「当たり前」を実現すればこそ、それは尊いものなのだ。
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◆本日の極意◆ → 1合ずつ酒を集め一升の酒が出来ることを奇跡と言う。
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お見舞いの酒 2006/8/16
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